『哲子の部屋』『ブレイブ 勇敢なる者「硬骨エンジニア」』など、独自の切り口のテレビ番組を企画・制作するNHKエデュケーショナルの佐々木健一氏が展開するコンテンツ論の第46回。今回は「取材の“本質”」 について。

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「なぜ、取材をしなければならないのか?」

 マスコミ業界の人間として日々仕事をしていても、こんな疑問を抱く人はそう多くないかもしれない。なぜなら、取材をするのはあまりに当たり前のことだからだ。だが、改めて考えれば、次のような理由になるのではないだろうか。

 「取材をしなければ、物事の“本質”が見えないから」

 手にしている情報量が少ないと、何が問題の核心か、何が最も重要なポイントか、見定めることなど到底できない。だからこそ、マスコミの仕事は、まずは「膨大な情報量を集める作業=取材」をしなければ始まらないのである。

 私も一つの番組を制作する際には、関連する情報を手当たり次第に集めることから始める。まるで底引き網のように引っかかる情報は何でも集めるので、こうした取材スタイルを自分で「トロール作戦」と呼んでいる。手間がかかり、読み込むだけでも骨の折れる作業だが、そこから思わぬヒントや発見が得られる。

 ある事柄に関する資料や過去に報じられた内容に目を通すうち、取材の方向性やロケの狙いが見えてくる。あるいは、重要な疑問点(問い)や他のマスコミがなぜか調べていない盲点も浮かび上がってくるのだ。

 よく番組制作の方法論として「テーマが先か? 取材が先か?」ということが話題になる。作り手が予めテーマをもって演繹的に取材を進めていく手法か、あるいは、具体的な取材を進める中からテーマが浮かび上がってくる帰納的な手法か、大きく分けて二つのアプローチがあるのだ。

 私の制作スタイルは、後者の「取材が先」という方法論だ。企画段階では、「なんだか面白くなりそうだ」という予感や勘があるだけで、明確なテーマまではあえて設定しないようにしている。

 だが、一般的には「テーマが先」という方法論を採る人の方が圧倒的に多い。特にドキュメンタリーの場合は、取り上げるに相応しい意義やテーマがまずありきという傾向が強い。企画会議などでも、「……で、結局、テーマは?」などと聞かれることがよくある。

誤解や偏見を招く内容のほとんどは「取材不足」が原因

 私が「取材が先」という方法論を意識するようになったのは、入社3年目くらいのころだ。ある先輩から「事実を丹念に取材することで、描くべきテーマは自然と浮かび上がってくる」と教えられたことがきっかけだった。自分の実感としても、「取材が先」の方が柔軟で、物事の本質を見失わないような気がする。

 なぜなら、作り手が予めテーマを決めて取材を始めると、いつの間にかそのテーマに寄せて情報を見るようになり、取材相手をこちらが伝えたいことを伝えるための“手段”のように扱ってしまわないか、という懸念があるからだ。テーマに引きずられ、目の前の現実と向き合わなくなる気がするのだ。

 制作スタイルは人それぞれ、やり方の違いだと思うが、こと「取材」においては、個人の主義・主張や予断、思い込みなどで判断しないように、情報は選り好みせず、できる限りさまざまな角度から広範囲にわたって集めるべきだと思っている。

 なぜなら、誤解や偏見を招く内容が報じられてしまうケースのほとんどは、端的にいって、取材不足が原因だからだ。限られた、偏った少ない情報をもとに拙速に判断した結果、そうしたことが起きてしまうのである。

 取材という行為は、真剣に取り組めば取り組むほど手間・時間・費用といった作り手にとっての“負荷”が増していくものだ。取材には「これで十分」というラインが設定されているわけでもない。制作スケジュールや予算のことを考えると、ある程度で手を打たなければならない事情もある。

 そういう時こそ、冒頭の「なぜ、取材をしなければならないのか?」という問いに立ち戻って考えるべきだろう。作り手自身がまだ“本質”を捉えられていないと感じているなら、まだ取材や情報量が十分に足りていないのだ。