『哲子の部屋』『ブレイブ 勇敢なる者「硬骨エンジニア」』など、独自の切り口のテレビ番組を企画・制作するNHKエデュケーショナルの佐々木健一氏が展開するコンテンツ論の第43回。テレビ業界で起きている「分かったところで大して面白くない」現象について。

分かりやすさ至上主義の弊害「分かっても大して面白くない現象」(画像)
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 わずか視聴率1%でも約100万人もの人が視聴している大衆メディアのテレビは、大前提として「分かりやすい」ことが求められる。分かりにくい内容だと、視聴者は簡単にチャンネルを変えてしまう。だから、あらゆる番組が日々、少しでも分かりやすくするために腐心しているといっても過言ではない。

 だが、近ごろそうした「分かりやすさ」を過剰に追求した結果なのか、不思議な現象が起きているように感じている。それは、

 「分かったところで大して面白くない」

 とでもいうべき現象だ。それを顕著に感じる一例が、いわゆる「前振りナレーション」だ。例えば、誰かのインタビューが映る前に「○○さんは、××について悩みを抱えていました」といったナレーションが入り、その後、○○さんが悩みを吐露するシーンが続いたりする。先に語りで取材相手が話す内容を説明しておくことで、視聴者も聞く準備ができ、丁寧で分かりやすい、とされている手法である。

 しかし、ナレーションと取材相手が話す内容は、ほぼ重複していることが多い。よく海外のドキュメンタリー制作者から「日本の番組は重複が多い」と指摘されるが、言葉やシーンの繰り返しだけでなく、私はこうした前振りナレーションとインタビューの重複を指している場合が多いのではないかと捉えている。

 本来、前振りナレーションはインタビューを引き立てる役割のはずだ。しかし、ただ答えを先に言ってしまうのでは「前振り」というより、「先食いナレーション」と呼ぶほうが相応しいだろう。このようなテレビ番組の分かりやすさを巡る迷走はいたるところに見られる。

 他にもナレーションでいえば、私が勝手に「手前味噌ナレーション」と名付けているものも「分かったところで大して面白くない」現象の一つだと思う。最近のドキュメンタリー番組で、よくこんな語りを耳にすることはないだろうか。

「今回初めて明らかになりました」「今回初めて語ってくれました」「今回初めて……」

 確かに、その番組で「今回初めて○○した」というのは、そのシーンや証言の価値を高めるナレーションといえるだろう。これも「説明しなければ視聴者には伝わらない、分からない」という理由で読まれるものだが、最近気になるのはその異常な頻度だ。

 先日、1時間弱の番組で4回も5回も「今回初めて」というナレーションがいかにももったいぶって読まれるのを目にした。「一体、何度、同じ台詞を連呼するんだ……」とさすがに呆れてしまった。それだけ繰り返すともはや「今回初めて」の価値は暴落し、視聴者もありがたみを感じなくなる。それどころか、むしろ耳障りで不快感すらおぼえるだろう。

 普通の会話に置き換えると、相手が何度も同じ話を繰り返し、しかもその内容が「俺が初めて○○したんだぜ」という自慢話だとしたら、聞いている方は心底うんざりするだろう。しかし、このような手前味噌ナレーションを執拗に繰り返す番組は珍しくない。