「若者の○○離れ」という定番フレーズでよく挙がるものに、クルマ、アルコール、海外旅行などがある。グローバル社会と言われて久しいのに、これからの時代を背負って立つ若者が本当に内向き志向から海外に興味が薄いのであれば問題だ。データを読み解いてみる。

近頃の若者は海外に興味もなく内向き志向?

 若者の海外旅行離れ、というフレーズを耳にするようになって十数年。法務省「出入国管理統計統計表」によると、20代の年間出国者数は、ガイドブック『地球の歩き方』が発売された1979年に100万人を超え、以降順調に右肩上がりに増え続けて96年には463万人に達した。だがこれをピークに下り坂に転じ、2017年は305万人。15年は254万人にまで減少していた。

20代の出国者数、出国者に占める20代の比率は確かに減少しているが…
20代の出国者数、出国者に占める20代の比率は確かに減少しているが…

 1990年代、日本からの出国者に占める20代の割合は27~28%台で推移していたが、04年以降、20%を下回っている。つまり、渡航先で遭遇する日本人旅行者は中高年が増え、若者の姿を見かける機会が減った、ということだ。

 沢木耕太郎の小説『深夜特急』に感化されてリュック1つで旅するバックパッカーに憧れた世代からすれば、海外に興味を持たない若者が理解しがたく、「内向き志向」「スマートフォンの影響」などと理由づける。JTBの幹部も、月刊誌『文藝春秋』誌上で「こころの鎖国を憂う」と若者に苦言を呈していた。若者は本当に海外に興味がないのだろうか?

2017年、20代で出国した人の割合は過去最高水準

 463万人もいた20代の年間出国者が160万人弱減って305万人と聞けば、反射的に「それは由々しき事態だ」と思ってしまいがちだ。

 その前になぜ1996年が多かったのかを考えてみよう。96年に20代だったのは、67~76年生まれで1900万人を超えていた。70年代前半生まれの第2次ベビーブーマーが含まれる、人口が多い世代だ。丙午(ひのえうま)で出生数が少なかった66年生まれが30歳になって、20代から外れた年でもある。20代人口が多いのだから、当然20代の出国者も多くなる。

20代のうち出国した人の割合は過去最高レベル
20代のうち出国した人の割合は過去最高レベル

 一方、2017年の20代は1988~97年生まれで1252万人。96年の20代の3分の2を下回る規模だ。合計特殊出生率が過去最低を記録して1.57ショックと呼ばれたのは89年のことで、少子化が社会問題になった世代である。20代人口が少ないのだから、当然20代の出国者も少なくなる。

「過大視本能」には気を付けよう

 海外旅行離れしているかどうかを見極めるには、そのときどきの20代人口に占める20代の出国者数を計算すればいい。すると、1996年は24.2%。そこから確かに下り坂でリーマンショックのあった2008年には17%台まで落ちるのだが、近年は回復し、17年はついに24.3%と過去最高レベルに復活している。

 一方、1980年代後半のバブル期は15%前後で、直近ボトムの2008年(17.8%)よりも低い。1986年以前は1ケタ%だ。「俺たちが若い頃は」と言う世代ほど、口先だけで実際には海外に行ってなかったことになる。

 もっとも、出国者数については、1人が年3回出国すれば3人とカウントされるため、20代は海外リピーターと国内残留組で二極分化している可能性はある。そこは検証の余地がある。それでも、内向き志向と年配層から揶揄(やゆ)されるほど国内に引きこもっているわけではない。

 「若者の○○が減っている」というニュースが流れるや、ネット上では「カネがないのだから仕方ない」という反論が飛び交う。それも原因の1つかもしれないが、まず単純に人口減の影響がないか、確認するようにしたい。

 好評を得ている書籍『ファクトフルネス』(日経BP社刊)の著者、ハンス・ロスリング氏は、大きな数字はそのまま見ると大きく見えてしまう「過大視本能」を指摘し、対策として他と比較したり割合を見たりすることを推奨している。

 「若者の海外旅行離れ?」はまさにこのケースに当てはまる。「20代の海外旅行者が200万人減少」という大きな数字1つだけで何か結論を言おうとすればコトを見誤る。20代人口に占める出国者数という割合を調べることで、実際の姿が見えてくる。この記事は、拙著『だから数字にダマされる 「若者の○○離れ」「昔はよかった」の9割はウソ』第1章「巷にはびこる『若者の○○離れ』のウソ」p.14~17から抜粋した。

 思い込みにとらわれず、データや事実に基づいて意思決定することは何よりマーケターに欠かせない資質だ。それだけに大元の統計データそのものの信頼性が揺らいでいる昨今の統計不信は憂慮すべき事態である。データを取り扱う者の倫理観と処遇を向上させることで、ファクトに基づいた行動が進歩をもたらす世の中であってほしい。