柄も味も多彩なキャンディーを店内で作り、販売する「パパブブレ」。バルセロナ発のビジネスを日本に持ち込み、国内12店舗の規模に成長させた創業者の菅野清和氏に、デザイン戦略や着眼点の持ち方を聞いた。

菅野清和(かんの・きよかず)氏
パパブブレジャパン創業者
1974年宮城県生まれ。家業の割烹料理店を継ごうと大阪の辻調理師専門学校で和食を学び、料理人として日本で5年、ロンドンで2年働く。ある有名料理店での修業を目的にバックパック1つでスペインへ。語学学校で出会ったパパブブレ創業者と友人になり2年間弟子入り。2005年にパパブブレ日本1号店を東京・中野にオープン

──パパブブレ開店以前は何をしていましたか?

菅野清和氏(以下、菅野) 実家が宮城県にある割烹料理店で、中学の頃から手伝っていました。高校卒業後は大阪の料理の専門学校へ。その後ホテルに就職しましたが、皮むきや洗い物ばかりで面白くない。1年で辞めて、カフェのケーキ作りや、かけ持ちでふぐ料理店や居酒屋、警備員もやっていました。体力があり余っていたので、朝9時から翌朝の始発まで働いて、休みは1週間で1日ほど。1年間働いて2週間ハワイのコンドミニアムで過ごすという生活を4年ほど続けました。

──パパブブレを始めるきっかけは?

菅野 25歳でロンドンに渡り、日本料理店で2年働きました。辞めた後、半年ほどヨーロッパを巡って日本に戻ってきました。ある日、テレビで世界一人気のレストランとしてスペインのエル・ブジが取り上げられているのを見て、「ここで働こう」と思いました。すぐに航空券を取って、アポなしでしたがバルセロナに向かいました。

──エル・ブジはどうでしたか?

菅野 結論から言うと、行っていません。1日かけて、バルセロナにいる人たちに聞いてみたんですが、どこにあるのかよく分からない。当時は知らなかったのですが、エル・ブジはバルセロナから車で2時間くらいの場所にあるそうです。しかし、そのときは言葉が通じないのが問題になると思ったので、現地のスペイン語学校に入学。そこで出会ったのがオーストラリアからやって来たトミー・タングで、後のパパブブレの創業者です。

 それから約半年後、2003年に彼はパパブブレを立ち上げます。「オープニングパーティーで寿司を作ってほしい」と頼まれて行ってみると、強い衝撃を受けました。「日本の金太郎あめのような店を始めたい」とは聞いていたのですが、色とりどりのあめやその香り、インテリアデザインや店内に流れる音楽、接客まで、すべてがデザインされた新しい体験でした。ヨーロッパのどの都市にもない店で、その瞬間、エル・ブジで働きたい気持ちは消え去りました。それから店に遊びに行って手伝いやバイトをして、オープンから1年くらいたったときに、「パパブブレを日本でやりたい」と伝えました。そこから彼らにいろいろと学びながら、契約など、ビジネスの話を詰めていったのです。

──どのようなことを学びましたか?

菅野 あめをきれいに作ることも重要ですが、イライラしたり、面白くないと思いながら作ると失敗するもので、自分のコンディションが良い状態で楽しく働くことの大切さを学びました。どんな職業でも、充実した状態でやった仕事のほうがいいものができる。

 もう1つ重要なのは、パパブブレがどういう店かを学ぶこと。パパブブレの理念は「The most fun confectionary in the world(世界一面白いお菓子屋さん)」です。創業者のライフスタイルや、面白いからやるという考え方に触れて、彼らと同じ空気を吸って一緒に働いたことが、何よりの財産です。

──05年6月、日本1号店を東京・中野にオープンします。なぜ中野に?

菅野 日本に戻って出店まで1年ほどかかりました。物件を探すため、表参道や銀座、自由が丘、吉祥寺といった人気の街も歩きましたが、ある日、吉祥寺の手前はどうかなと降りると、いろんな街を歩いたからこそ、中野の落ち着いた環境に魅力を感じました。本店もバルセロナの中心から少し外れたエリアにあり、結果的にそれを踏襲しましたね。店舗の内装などは創業者にディレクションをお願いして、本店と同じようにしました。正直「壁がこの色?」とも思いましたが、センスがある人のアイデアを受け入れようと。あめの柄やフレーバー、パッケージデザインも同様です。

 開店すると新聞や雑誌に取り上げられ、その年末には忙しくなり、行列が100mもできて商品が空っぽという状態が続くようになりました。それ以降、スタッフを増やし、製造工程を工夫し、店の運営を安定させることに注力しました。並ばれることがステータスだという経営者もいますが、お客さまの時間を無駄にするのは申し訳ない。並ばなくてもいいようにするのが経営だと学びました。

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