←目次 新経営指標「LTV」 ~顧客と一生付き合う3つの方法

先進企業が注目する「LTV」という新しい経営指標をご存じだろうか。「Life Time Value」の略で「顧客生涯価値」と訳される。自社の商品、サービスを購入したことがある既存顧客との関係を深めて、商品などの購入頻度やトータルの購入金額を高める手法である。このLTVを指標として、その向上を目指している最新の事例をご紹介しよう。まずはキリンビールが展開し、人気を集めている月額制のビール配送サービス「キリンホームタップ」から。

 「キリンホームタップ」は大人気で、ビールの製造が追いつかなくなる恐れから、一時的に申し込みの受付を中止したほど。中止期間中に、販売再開を知らせるメール受信の登録を促したところ、その登録者が1万5000人に上ったという。なぜ同社はこんな新サービスを始めたのか。それを知るには新しい経営指標として注目されている「LTV」を理解する必要がある。

キリンの「ホームタップ」は1万5000人待ちの人気だ

 ホームタップはキリンの専用サイトで申し込むと、月額6900円で自宅用のビールサーバーを借りられるサービスだ。毎月ビールサーバー向けの「一番搾りプレミアム」(1リットルペットボトル×4本)が、工場から自宅に直送される仕組みだ。作りたてのビールを自宅で楽しめることがビール愛好家に受けている。不定期で申し込みを再開しているが、「毎回、数百台ずつしか用意できないため、告知をするとすぐに枠が埋まってしまう」(マーケティング本部マーケティング部商品開発研究所土屋義徳氏、肩書は取材時)という。

 ホームタップのように、優良顧客向けに高付加価値サービスを提供する。あるいは、顧客一人ひとりにパーソナライズしたコミュニケーションで関係性を深める。そんな取り組みを強化する企業が増えている。各社の狙いはLTVの増加だ。今、LTVが先進企業にとって重要な経営指標になりつつある。

「1:5の法則」が重要に

 その理由は消費者の変化にある。スマートフォンの普及、SNSの台頭によって、消費者の趣味嗜好の多様化が起こっている。さらに消費者接点の細分化も急速に進む。テレビ、スマホ、タブレット……。消費者はそれぞれが異なる画面を見て、自分の趣味嗜好に合った情報を効率的に得ている。テレビCMなどでマスにリーチをして新規顧客を獲得し続ける焼畑農業的な広告施策は、徐々に効率性が低下している。こうした時代において、ヒット商品を生み出すことは容易ではない。

 今後の企業成長の鍵を握るのが既存顧客だ。マーケティング業界には「1:5の法則」と呼ばれる法則がある。新規顧客は獲得コストが高いにもかかわらず利益率が低いため、既存顧客に商品を購入してもらうより5倍のコストがかかることを示している。マーケットが縮小傾向にある国内で売り上げを伸ばすには、既存顧客との関係を強化してLTVを高めることが求められる。

 その代表的な手法が「CRM(顧客関係管理)」だ。デジタルマーケティング技術の発展により、さまざまなマーケティングデータの取得・蓄積が可能になった。このデータを活用して既存の顧客、一人ひとりに対して適したメッセージを届けてクロスセル、アップセルを狙う。

 手段はそれだけではない。先端技術やサービスの概念の登場により、新たな手法が生まれている。キリンが取り組む月額制のECサービスである「サブスクリプション型コマース」はその1つ。従来はベンチャー企業の参入が目立ったサブスクリプション型コマースに、大手企業が参入するケースが相次いでいる。もちろん狙いはLTVの向上だ。本特集では、先端事例を通じてLTV向上策の最前線を読み解いていく。

 まず、サブスクリプション型コマースの活用例として、冒頭で紹介したキリンの事例をさらに深掘りしていこう。キリンがホームタップ事業を始めた背景には、ビール市場の縮小傾向がある。国税庁によれば、ビールの消費量は1994年の705万7000キロリットルをピークに、2015年には266万6000キロリットルにまで落ち込んでいる。発泡酒や「第三のビール」に当たるリキュールといったビール類を足し合わせても、545万1000キロリットルにとどまる。市場が縮小する中、企業間で顧客の奪い合いが激化している。このまま体力勝負を続けていても疲弊するだけだ。

 そこで、キリンは既存顧客との関係性の構築をテーマとした新規事業を検討し始めた。たどり着いたのが工場から直送する生ビールだ。出来たてのビールを味わえるサービスは、小売りで販売する商品にはない新しい価値として、顧客に受け入れられると考えた。さらに家庭用ビールサーバーを併せて提供することで、出来たてのビールをよりおいしく味わってもらうことを目指した。

過去の失敗を糧に再参入

 実はキリンにとって家庭用ビールサーバー事業は再参入に当たる。以前に展開していた同事業は「一大ブーム」(土屋氏)となるほど大盛況だったが、長期的な事業継続は難しかった。その理由はビールサーバーおよび、詰め替えのビールを小売り企業を通じて販売したからだ。「ビールサーバーが売れている時は、詰め替え用のビールも拡販してくれるが、販売が鈍化すると、すぐに取り扱い店が減ってしまう」と土屋氏は振り返る。その結果、機械は持っていても、ビールが買えないという事態をまねいてしまう。

キリンはECを活用して家庭用ビールサーバー事業に再参入した

 当時は、この課題を解決する手段がなかったため、事業存続は難しいと判断した。ホームタップ事業では、このときの経験が生かされている。小売りを介さない直販モデルを取っているのは、詰め替え用のビールが市場から姿を消すのを避けるためだ。

 ECと物流の発展がそれを可能にした。ECサイトを開設すれば、メーカーでも容易に販売チャネルを設けて、顧客に直接商品を販売できる。また、サブスクリプション型を採用したのは、月額制ゆえに会員を増やすことで、月々の売り上げが積み重なり、安定した収益を見込めるからだ。環境が整ったことで、以前の課題を乗り越えた、新しいビジネスモデルの実現を可能にした。

 ECを軸とした直販モデルの確立によって、これまで分からなかった、顧客1人当たりがサービスに費やす金額も分析可能になった。「顧客と長い関係を築くことが事業継続には重要。LTV的な観点をメーカーが持つことも必要だと考えている」と土屋氏は言う。ホームタップ事業では、1人当たりの年間利用金額を事業の指標の1つとして設定している。年間利用してもらえれば、1人当たり最低8万2800円の売り上げが見込める。こうした指標を持つことで、マーケティング施策のROI(投下資本利益率)が明確になり、マーケティングへの投資判断もしやすくなる。さらに利用金額を高めるための施策にも取り組んでいる。

キリンのホームタップのサービスの流れ

 例えば、ホームタップの専用サイトでは会員であれば、2000円で追加のビールを注文できる。一番搾りプレミアムだけではなく、季節限定商品も用意しており、2018年2~4月にかけては「スプリングバレーブルワリー ヨンキューロク」を限定販売する。こうした追加のビールは「想定以上に注文がある」と土屋氏は驚きの声を上げる。ホームタップ事業は2017年中に3000人の新規獲得を想定していた。それをあえて2000人程度にとどめている。ビールの追加注文が想定以上だったことが要因だ。売れるからといって闇雲に会員を増やして、ビールの製造が追い付かなくなることを懸念した。申し込みを中止しているのはそのためだ。

 このように顧客のサービス利用動向が手に取るように分かるのも、直販ならではの利点だ。その動向を基に改善できる。キリンはサービスの設計をする段階で、月に1リットルペットボトルが4本届けば十分だと踏んでいた。だが、実際にサービスを開始してみると、追加注文の需要は想像を超えていた。そこで、需要に応えるために「今後、より多くの本数が届く上位プランの拡充などを検討していく」(土屋氏)という。顧客のニーズに合わせた、臨機応変な商品開発でLTVのさらなる増加を狙う。

第2回 LTV向上の切り札、シェアリングエコノミーを取り入れよ→