カーシェア、鉄道、バス、タクシーなど、さまざまな交通手段を統合して次世代の移動サービスを生み出す「MaaS(モビリティ・アズ・ア・サービス)」。MaaS実現の先にある未来を他産業の専門家と探る本連載の第8回。今回は、医療・ヘルスケア分野とMaaSが重なり合う未来を探る。

(写真/Shutterstock)
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 モビリティ革命「MaaS」がもたらす社会的インパクトは移動にまつわるものだけではない。あらゆるモビリティのモードを超えてシームレスな移動を提供するMaaSの実現に至る過程やその先には、他産業のビジネスモデルと連携しながら、まちづくりの在り方が大きく変わり、人々の暮らしがダイナミックに刷新されていく可能性を秘める。

 今回は、東京大学発の医療系スタートアップのテンクー(東京・文京)を率いる西村邦裕社長が、MaaSを語る。テンクーは、がん患者のゲノム(遺伝情報)データを解析し、薬の候補や臨床試験の情報などを個人に最適化した形で医師向けにリポートするソフトウエア「Chrovis(クロビス)」を提供するテクノロジー企業だ。西村氏が見据えるMaaSと医療・ヘルスケア分野が融合した世界とは?

【MaaSとは?】

鉄道やバス、タクシーに加え、カーシェアや配車サービスなどのあらゆる交通・移動手段を統合し、スマホアプリを介した一括予約・決済を可能にするサービス。クルマを所有するより割安に、かつ同等以上の移動の利便性を得られる。地方の交通弱者対策、渋滞解消などの社会課題の解決にも役立つ。

【MaaSが都市や生活にもたらす変化のポイント】
①移動のパーソナライズ化
→ 個々人のニーズに合わせた移動手段をアレンジ、新たな移動需要の創出が可能に

②交通の最適化・サブスクリプション化
→ モビリティの移動を統合的に制御する仕組みの登場
→ 「乗り放題定額パッケージ」の出現で、交通以外のビジネスとのワンパッケージ化が容易に

③都市空間・立地の再定義
→ カーシェアやライドシェアの普及で駐車場が消滅、空きスペースの有効活用が可能に
→ 交通体系の再構築で、立地によらないビジネスが可能に
テンクーの西村邦裕社長。2001年、東京大学工学部機械情報工学科卒業。06年、東京大学大学院工学系研究科先端学際工学専攻博士課程修了。同大学の研究員・助教を経て、11年にテンクーを創業
テンクーの西村邦裕社長。2001年、東京大学工学部機械情報工学科卒業。06年、東京大学大学院工学系研究科先端学際工学専攻博士課程修了。同大学の研究員・助教を経て、11年にテンクーを創業

(以下、テンクーの西村邦裕氏談)

 MaaSによる移動革命と同じように、医療分野にも今、AI(人工知能)に代表されるデジタル革命の波が急加速で押し寄せています。

 その最先端が、我々テンクーがかかわっている「ゲノム医療」です。ゲノムとは遺伝子(gene)と集合体(ome)から合成された言葉(genome)で、生物を構成するタンパク質の生成・制御などDNAのすべての遺伝情報のこと。人体は10兆~100兆個の細胞で構成されており、その一つひとつにDNAが含まれます。1つのDNAのデータ量は30億文字に及ぶため、ゲノム解析には莫大な量のデータ解析が必要になります。

 そのため、この分野の技術進歩は目覚ましく、ゲノム配列を読み取る専用装置「シークエンサー」は、10年ほど前はヒト1人の全ゲノム配列を解析するのに1年、100億円かかっていましたが、今では約1日、約10万円でできます。 数年後には、1時間、1万円で可能になるという予測もあるほどです。

 これにより、どんな医療が実現しつつあるのか。従来のがん治療は対象となる臓器やステージ(進行状況)に応じて抗がん剤(殺細胞性抗がん剤)を投与し、それが効かなければ別の抗がん剤を使うというものでした。抗がん剤は正常な細胞も“じゅうたん爆撃”的に攻撃するため、強い副作用をもたらすことが多いのがネック。それに対してゲノム医療では、シークエンサーで患者のがん細胞に特徴的な遺伝子変異を見つけ出し、それをターゲットにする「分子標的薬」を投与するというアプローチを取ります。つまり、ゲノム解析により、個々人の状況に合わせて適切な薬をマッチングできるようになったということです。

 まだゲノム医療は、がん治療での取り組みが始まったばかりですが、今後は希少疾患や、感染症、認知症など、より広範囲でその強みを発揮していくでしょう。患者一人ひとりに対応する「パーソナライズド医療」の時代が訪れます。MaaSの本質も、個々人の行動データを分析することで移動を最適化することにあると思いますので、両者の動きは同期していて非常に興味深い。例えば、がんのゲノム医療で使われる分子標的薬は、2000年代後半から注目を集めてきた比較的新しい薬です。これがなければ、いくら患者のゲノムデータ解析が進んでも最終的な解決につながりません。これをMaaSに置き換えてみると、もしかしたら今後日本でも普及が期待されている配車サービスや相乗りサービスが、MaaSにおける分子標的薬に当たるのかもしれません。

 最先端のゲノム医療に限らず、一般的な医療やヘルスケア分野にまで視野を広げると、MaaSとの融合メリットは多数考えられます。まず、大きいのが徒歩も含めて日々の行動データを収集するMaaSアプリが普及すると、「健康な人」のデータが大量に集まること。実は、1年に1度、健康診断を受けるだけで済んでしまう健康な人ほど、医療へもヘルスケア分野へもタッチポイントが少ないのが課題です。高齢者や子供は病院に行く機会も多いのですが、20~50代はぽっかり抜けてしまう。だから、全年齢でタッチポイントを平準化することは必要なのです。こうして健康な人を含めて長い期間のデータが得られれば、どのような生活習慣が健康に害を及ぼすか、変化点を割り出すことも可能になるはずです。

 そのためには、「Apple Watch Series 4」で採用された心電図(ECG)をはじめ、スマートフォンの歩数計などのヘルスケア機能とMaaSアプリが連携することが望ましい。医療やヘルスケア系の専門アプリもありますが、利用頻度はそう高くないのが現状でしょう。その点、MaaSアプリは健康な人も含めて生活軸ですべての行動データを網羅できる期待があります。「ポケモンGO」のようにゲーム要素を加味したり、健康的な行動に対してポイント付与したりすれば、不健康な人の行動変容も望めるかもしれません。